プロフィール
プロフィール
2001年、阿久悠を筆頭とした作家事務所オフィス・トゥー・ワンに所属。
放送作家として「奇跡体験!アンビリバボー」など様々な番組の企画・構成・脚本を手掛け、2006年に独立。
その後は執筆の幅を拡大し、作家・構成作家・コピーライターとして活動。
2008年、日清食品チキンラーメン・カップヌードルのコピーライトとWEBオーディオドラマの脚本を担当。
2015年、小説の処女作「悲しみの底で猫が教えてくれた大切なこと」は、発売半年で10万部に到達。
韓国・中国・台湾・ベトナムで翻訳化。2023年現在、韓国にてドラマ化進行中。
編集協力の書籍「ディズニーシリーズ」は、累計100万部に到達。
子は、娘が三人。長女26歳、次女24歳、三女2歳。
動物は、10匹の猫と2匹の犬。2023年現在
保持資格は、メンタルケア心理士・ペット看護士・ペットセラピスト。
主なベストセラー書籍(著書・編集協力)
・「ディズニー そうじの神様が教えてくれたこと」23万部
・「ディズニー サービスの神様が教えてくれたこと」24万部
・「ディズニー ありがとうの神様が教えてくれたこと」21万部
・「悲しみの底で猫が教えてくれた大切なこと」12万部
・「孤独の果てで犬が教えてくれた大切なこと」6万5000部
・「たとえ明日、世界が滅びても 今日、僕はリンゴの木を植える」3万5000部
その他多数
略 歴
1974年、千葉県市川市に生まれる。
父親は伝統工芸作家、母親は洋画家の家庭で育つ。
両親がイタリアの古い都ヴァッサーノで芸術活動をしていたことから「古都」と名付けられる。
母親は若い頃、日活で女優をしており、昭和34年の映画「にあんちゃん」(今村昌平監督)に出演するなど、華々しい世界で活躍したのち洋画家に転身。
絵画の世界に転身した母親は、その後も映画・舞台・テレビドラマ・絵本、あらゆるエンターテイメントを愛し、絵本の量は壁棚一面を埋め尽くしていた。
映像も書籍も制作の視点で子に教え込む傾向が強くあり、それによりサンタクロースを信じさせてもらえず、幼少期の悔やみである。
ただ、鑑賞したい映画が他県でしか上映されていない時、学校を休んで他県まで観に連れて行ってくれたことには今でも感謝している。
そのようなことから、観ること、演じること、世界観を創ることについて、幼少期からあらゆる視点でエンタメと向き合う。
ちなみに、母親は2013年に他界。享年77歳。
1981年、小学校1年の時、見様見真似に創った絵本を担任の先生が読売新聞社主催の絵本賞に応募してくれ、入選受賞。
母親と担任の先生と共に、品川プリンスホテルにて上皇后美智子様(当時妃殿下)とのお食事会に招かれる。(場所の記憶は曖昧だが東京のホテルだったことは確実)
小学校を卒業する年にも、新作にて同賞を受賞。その際も、プリンスが付くホテルでお食事に招かれた記憶あり。
絵をかくことよりも文字を書くことで世界観を創るのが好きで、その世界の中に自分の居場所を作っていたように感じる。
小学1年の頃からテレビコマーシャルのキャッチコピーを見ることに興味を抱き、将来はコピーライターになりたいと思っていた。
新聞に挟まっている広告の裏に、詩を書いてはファイルに溜めていくことが楽しく、遊びの一つでもあった。
母親のことは好きだったが、生まれ育った環境が肌に合わず、小学校卒業と同時に親元を離れ、単身北海道の寮へ。
けれど、小さい頃から一人で遊ぶことに慣れていたせいか、集団生活に溶け込めず、一年未満で帰省し地元の中学に編入。
小学5・6年の時、演劇部で部長を務めていたこともあり、編入した地元の中学でも演劇に携わる。
幼少期からエンタメの制作視点を教え込まれてきた影響が尾を引き、中学3年の時、文化祭にて自主制作映画を発表。
恩師である担任の先生が、全面的にバックアップしてくれ、本格的な仕上がりに完成したが、様々な生徒の意見を脚本に取り入れすぎ、よく分からないストーリーとなった。
中学後半は写真部に所属し、現像に没頭。当時は、フィルムカメラしかなく、暗室と呼ばれる光のない現像室で一人コツコツと写真を焼い(現像し)た。
一枚の写真の中に、目の前の現実が切り取られることが楽しく、また、祖父がカメラマンをしていたこともあり、カメラを触ることに憧れがあった。(触っちゃだめ!と言われていたことにより、カメラは特別なものという意識があった)
1990年、高校1年の時、大手カメラ会社主催の写真コンクールに入選。
(十年割愛)
2000年、26歳で表現活動を再開すべく角川文庫原作の映画オーディションを受ける。
応募者1200人の中、最終審査にてオリジナル脚本の一人芝居を演じ、合格。
ちょい役だったが、映画の出演を機に、自分は演じる側ではなく「演じてもらう世界(原作)を創る側になりたい」と確信。
育児をしながら、思いつくままに作品を書き出し、脚本・小説・漫画・詩・作詞、ありとあらゆる創作物を作家事務所に送る。
2001年、阿久悠・久米宏を筆頭とする作家事務所オフィス・トゥー・ワンに所属。
放送作家の部署に配属されるが、放送作家がどのような仕事かも分からないまま、とくかく「書く」ことに携わりたいと思い与えられたことに全力投球する。
仕事をもらうためにマネージャー同伴で制作会社を周り歩き、フジテレビ「奇跡体験!アンビリバボー」のプロデューサーに可能性を信じてもらい、番組に携わらせていただく。
そこから5年間、放送作家(別名 構成作家。又の名を数字の職人)としてテレビ番組の企画・構成・脚本に関わり、2006年に独立。
原作を書くことを目標とし、オフィスコトノハ設立。
独立後すぐは仕事がなく、広告制作で生計を立てる。
森永乳業・日清食品のキャッチコピーやパンフレットの構成、webドラマの脚本、パナソニックのwebライティングなどを手がける。
2008年、絵本「白カブトの涙」を創作。絵も自身で描く。ホームページで公開すると、全国から注文が殺到。郵送の手間など手に負えなくなり、掲載したりしなかったりを繰り返す。
2010年、1月~10月、毎日新聞系列サイト「風のあしあと」にて小説とコラムを連載。
2011年、書籍「ディズニー そうじの神様が教えてくれたこと」の全体構成・編集協力をきっかけに、書籍の制作にたずさわる。
2011年、3匹の猫を保護する。最後に見送った猫から10年飼っていなかったが(別れが辛くて)、娘たちが猫を飼いたがったので家族に迎えることにする。
2012年、さらに6匹の猫を拾う。さすがに全匹飼うことはできないので、里親さんを探して5匹譲渡する。残り1匹は家族になる。これを機に、猫の保護活動を細々と個人で始める。
2012年、ディズニー本のシリーズ化決定。シリーズ累計100万部到達。
2014年、1月~6月、月刊「PHP」の読みきり短編小説を連載。
2014年、絵本「白カブトの涙」が岩手県公会堂にて劇化される。
2015年、著書「悲しみの底で猫が教えてくれた大切なこと」出版。
発売半年で10万部到達。韓国、中国、台湾、ベトナムにて翻訳化。
トークショーやサイン会など各地で開催。
2015年、「日本でいちばん優しいホテルであった奇跡の物語」共著。フジテレビ「奇跡体験!アンビリバボー」にて映像化。
2016年、「悲しみの底で猫が〜」の続編「孤独の果てで犬が教えてくれたこと」出版。海外で多数翻訳化されると同時に、雑誌の表紙でも紹介され反響を呼ぶ。
(Travis Japanの松倉海斗君が手にしてくれているのが著書)
2017年、「たとえ明日、世界が滅びても今日、僕はリンゴの木を植える」出版。累計20万部。
2018年、初の短編集「あのとき僕が泣いたのは、悲しかったからじゃない」出版。
2020年、短編集の中の「ショコラの種」と「真昼の花火」が、都内進学塾(四谷大塚とSPIX)の国語の教材として起用される。
2021年、47歳で三女を超高齢出産。
同年5月、「悲しみの夜にカピバラが教えてくれた大切なこと」出版。タレントのみやぞんさんが帯で応援して下さる。
同年8月、「経済ってなんだ?」出版(編集協力)
2022年、1月、「悲しみの底で猫が教えてくれた大切なこと」文庫化。
2023年、4月、「ディズニー そうじの神様が教えてくれた大切なこと」ヤングアダルト版としてリニューアル発売。
2023年、9月、絵本「白カブトの涙」が、宮沢賢治さんの作品と共にピアノコンサートにて起用される。
2024年、1月、同じく絵本「白カブトの涙」が舞台化決定。現在、公演に向けて進行中。